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選択

 

 眼前で片膝をつく相手の左手首を無造作に掴み、捩り上げる。そうすれば、押し殺した苦痛の声がその唇から洩れた。
 構わず、左手を包む手套を抜き去り、手首の包帯を晒す。
「何の真似だ、これは」
 掴んだ力を緩めず、問う。
 包帯の表面にはうっすらと鮮血が滲みはじめていた。
「・・・わかりません」
 苦痛に歪む声。思わず床へとついた右手が、絨緞を握り締める。
 その様子に、定光寺は突き放すように掴んでいた腕を解き放った。
 代わりにその顎を捕え、乱暴に引き上げる。
「狂わされたか、楠本に」
「定光寺、中佐・・・っ」
 空いた手は、宙を掻いた春木の右手を捕え、床へと押さえつける。
「最大の叛逆者か絶対的支配者。楠本の辿る道はそのいずれかでしかない。楠本はそういう人間だ」
 顎を捕えていた指が、首へとかかる。
「それを覚悟で、貴官は敗軍の将に膝を折るか」
「・・・小・・・官はっ」
 頸部へと加えられた力が春木の言葉を遮る。左手が定光寺の袖を捕えた。
 憎悪を注ぎ込むかのような一瞬。その終幕とともに定光寺は春木を押さえつけていた手を緩める。
「貴官が楠本に対して跪くと言うなら、それも構うまい」
 床の上で激しく咳込む春木を見下ろしながら告げられる言葉。
「だが、二心は許されない。・・・春木少佐」
 名を呼ばれ、顔を上げた春木の目に映る銃口。引鉄へとかけられた指に、思わず瞼をかたく閉ざす。
 しかし、銃声がすることはなく、ただグリップが肩へと圧しつけられただけだった。
「定光寺中佐・・・」
「弾は一発だけだ。いつ、誰に向けるかは貴官の判断だ。・・・楠本か、私か、貴官自身か」
 ゆっくりと春木が銃を受け取る。投げ渡される手套。見上げた視線の先で定光寺の右手がひらりと宙を打ち払う。
 退室を促す仕種に春木は無言のまま敬礼を返す。
 部屋を去る寸前、幽かな紫煙がその鼻先をかすめていった。

 

古い古い時代の話。[2001/01/20]