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皓月

 

 ふと視界に入ったその光景に、秋山は思わず足を止める。
 静寂のなかで響く水の音。ゆるやかに水を流しつづける水盤。その縁に腰を下ろし、春木は天頂に浮かぶ、皓い月の面を見上げていた。
 眩しささえ覚える月明かりに照らし出されたその横顔は、祈りを捧げる修道士のようでもあった。
 足を止めた秋山の気配が届いたか、あるいはただの偶然か、不意に春木が彼のほうをふり返る。何を咎められたわけでもないのに、息が止まる思いがした。
「秋山少佐・・・」
 驚いたような春木の声。
「・・・っ、し、失礼しました」
 慌てて目を伏せ、敬礼姿勢をとる。春木はかすかに苦笑を浮かべたらしかった。
「いったい、どうした?貴官にしては珍しい時間帯だが?」
「いえ、あの、眠れなかったので・・・」
 生真面目に答える秋山に微苦笑を重ねる。
「こちらへ来たらどうだ」
「あ、はい・・・」
 揺れる梢。揺れる影。
「・・・春木大佐は、どう、なさったのですか」
「貴官とそう変わらぬさ」
 そう答えて、春木は煙草を取り出す。
 ライターの仄明り。
「・・・良い月だな」
「・・・そうですね。でも、あまりに皙くて、小官は、少し怖い感じがします」
 天上の皓月。水面の月明。
「・・・月魄は、見る者に狂気を与えるそうですから」
「狂気か・・・」
 秋山の言葉に春木はふと表情を小さくゆがめる。自嘲の色さえ帯びた、冷えた表情。
「・・・狂気に侵されてしまったほうが、楽なのかもしれぬな・・・」
 可聴域ぎりぎりの呟き。問い返すことも出来ず、秋山は視線をさまよわせる。
 月明かりの地面に這う、己の影。
 見上げる月は、ほぼ真円に近い姿をしていた。

 

[2000/08/21]