>保管庫

夜桜

 

 踵を返しかけて、足を止める。
 不意につかまれた手首。
 引き止めた相手をふり返るその表情を支配するのは、無表情のような微笑。
「・・・どうかしましたか」
 先刻の発言を忘れたかのような言葉と、その表情に、児玉は問いかける言葉を失い、微かに眉を顰める。
 それでも相手は、彼の意図する言葉を正しく理解したらしかった。
「・・・忘れてください」
 己の手首を掴む児玉の手をやんわりとふりほどき、そう告げる。
 淡く、消え入るような微笑。
 そして、そのままゆっくりと踵を返す。
「・・・貴官が、望むのなら」
 その背中に、児玉は言葉を紡ぐ。
 立ち去りかけた相手の足が止まり、児玉をふり返る。
「・・・貴官が本当に望むのだとすれば」
 夜風に騒ぐ木々。
「殺してやるし、全部、忘れてやる」
 夜桜は、はらはらと、散り続ける。

 

『黒月』の続き。永良的人物設定の一例。[2000/05/14]