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卒寮子

 

 卒業式ののち、最初に寮を去っていったのは藤堂だった。
 彼が担う責任上、それは仕方のないことではあったが、多くの塾生にとって、それは半ば無意識に遠ざけようとしていた瞬間が、如何様にしても逃れられぬものであることを改めてはっきりと突きつける引鉄のようにも思えた。
「いつでも力になる」
 そう言い残した彼を契機にひとり、またひとりと塾生たちが、名残を惜しみながら寮を後にする。
 そして、残る人数が半数を切った頃、Jがゆっくりと玄関に姿を見せた。
「アメリカに帰るのか」
 玄関脇の廊下に佇んでいた桃が声をかける。
「ああ、そのつもりだ」
「そうか。寂しくなるな」
「桃」
「ん?」
「お前たちに会えたことは俺の誇りだ」
「よせよ、一生会えなくなるわけじゃなし」
「ああ、・・・そうだな」
「元気でな」
「ああ、お前も。・・・また会おう」
 開け放たれたままの玄関の向こうで春の陽射しが揺らめく。
 そのなかを振り返らずに歩いていくJの姿が見えなくなったころ、次いで姿を現わしたのは泊鳳やファラオ、宗嶺厳といった面々であった。
「俺たちも、それぞれの場所に戻ることにした」
「わしはもっと修行して梁山泊をたてなおすけんのう。その時は見に来てくれずら」
「エジプトに来た時は声をかけてくれ。歓迎しよう」
「お前たちのことは、一生忘れん」
 差し出される手を握り合い、その背中を見送る。
 その後も、順々に塾生たちが敷居を越えていく。
 残る人数とともに減っていく寮内のざわめき。
 太陽もいつしか南中を過ぎ、次第に高度を下げていく。
「何かあったら呼べよ。いの一番に駆けつけるぜ」
「また飲もうぜ、皆でよ」
「われわれは、仲間ですから」
 富樫と虎丸、そして、飛燕らが去ったことで、未だ寮に留まっているのは二人だけとなった。
 互いに無言でその場に腰を下ろし、伸びた廊下を眺める。
 海内知己を存せば、天涯も比隣の若し。
 ここを離れたからといって、何が変わるわけでもない。それは重々承知している。
 それでも、名残を惜しむように、言葉も交わさず、何本かの煙草を灰にした。
「・・・行くか、そろそろ」
 西へと傾いた陽射しが窓から廊下を照らし、傍らで伊達が立ちあがる。
「お前も行くんだろう、桃」
「お前が出ていったらな」
「タイミングを人に押しつけんじゃねぇよ、馬鹿野郎」
 毒吐いた伊達の手が、さっと桃の荷物を奪う。
「おい」
「来いよ。どうせ駅までは行くんだろう」
 抗議の声を気にも留めず、にやりと笑う伊達に、桃は苦笑を隠して渋々立ちあがる。
 靴を履き、先に表へと出ていた相手から荷物を受け取ると、振り返り、玄関の戸を閉める。
 鍵の閉まる音が不思議と大きく聞こえた。
「とりあえず、鍵だけ渡しに行かなきゃな」
「とっとと行ってこいよ」
「一緒に行くんだろう?」
「行って欲しいのかよ」
「どうせ駅までは行くんだと言ったのはお前だろう」
「・・・人の揚げ足取りやがって」
「行こうぜ、伊達」
「しょうがねぇ野郎だぜ」
 まだ肌寒さを残す風が、咲き誇る桜を揺らす。
 ひらひらと淡い色の花弁が彼らの足元に吹き込んだ。

 

「春雲」「春鬱」の初期原稿。文中の「海内知己を存せば、天涯も比隣の若し」は王勃の五言詩の一文。[2003/11/10]